光禅寺 広島市佐伯区五日市

ニック・ユソフさんの墓


ニック・ユソフさんの墓


ニック・ユソフ

  光禅寺墓地の山頂近く、五日市の街を見下ろせる場所に
ニック・ユソフさんの墓が建てられています。
  ユソフさんは東南アジアから留学し、広島で被爆した「南方
特別留学生」の一人です。
  1925年マライ(現在のマレーシア、当時はイギリスの植民地)
コタバル市にて生まれました。
  1941年にマライに進軍した日本軍は、将来の東南アジアの
リーダーの育成を目指し「南方特別留学生」として優秀な人材
を日本へ留学させました。日本政府に協力的な指導者を育て
たいという思惑もあったとされています。
  二期に渡って計205人の生徒が来日し、ユソフさんはその内
の広島文理科大(現在の広島大学)へ在学した9人の中の一人
でした。ユソフさんは内気で物静かな学生でしたが意志が強く、
戦時下の不自由な生活にも不平不満をこぼすことがなかったと
いわれています。
  1945年8月6日原爆投下により爆心地から約900mの興南寮
で被爆し、顔や手足に大火傷を負いながら猛火の中を避難する
も五日市付近で息絶えたそうです。20歳の生涯でした。
  その後、五日市国民学校の校庭にて荼毘に付されました。
お骨を預かった当時の光禅寺住職星月晨人(ときと)が、故国を
遠く離れて留学し原爆の犠牲となったニック・ユソフさんの死を悼
み、1960年にイスラム教式の墓を建立しました。
  それから、毎年8月6日には、には広島大学から職員や学生の
方がお墓参りに来られ、光禅寺前住職とともにお参りされます。
  家族から離れ異国で原爆の惨禍にあいその境涯を終えた
ユソフさんを偲びつつ、戦争の愚かさ、悲しさ、そしてすべての命
の尊さを思いながらこれからもユソフさんのお墓を光禅寺でお守り
していきます。


※広島文理科大に在籍し、興南寮で生活していた南方特別留学生の9人
中8人が被爆し、2人が犠牲になりました。
 ニック・ユソフさんともう一人はサイド・オマールさんです。オマールさんは
18歳で被爆しその一か月後に京都市で亡くなり、円光寺に埋葬されました。









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